E・エアーズは1914年に『ガゼット・デュ・ボン・トン』で挿絵を手がけ、本文ページと広告ページの双方で仕事をした。アムステルダム国立美術館は、作品上に現れるモノグラム——意匠の中に組み込まれた小さな小文字の e.a——を根拠に、六点以上をエアーズの手によるものとする。 確認されている作品は三群に分かれる。第5号では、シャルル・ミュレールによる化粧の歴史と実践をめぐる五ページの記事『貴婦人たちのパレット』の挿絵全体を担当し、153ページから157ページに及ぶ。挿絵は全ページ大の図版ではなく、活版の本文中に置かれた小図であり、身体から切り離された唇、横顔、星と三日月のつけぼくろを添えた白粉の顔、チューリップを持つ手などが描かれる。第6号では二点の広告を提供している。IXページの化粧品商ヘレナ・ルビンスタイン、XIIページの室内装飾・椅子張り商メルシエ兄弟である。第7号ではミュレールとの協働が再開し、248・249ページの『言葉遊び』に婦人の髪型と帽子の挿絵を寄せ、さらに『羨望の罪、あるいは欲されたパナール』と題された一篇を手がけた。 この一連は、作家についてよりも雑誌について語る点で注目に値する。エアーズは五月に化粧をめぐる記事の挿絵を描き、翌号で化粧品広告の挿絵を描いた。同じ手、同じ主題が、一か月のうちに本文ページから広告ページへ移動している。これは『ガゼット』がより広く採っていた慣行の記録された一例であり、広告主は本文ページに権威を与えていた画家たちをそのまま用いていた。 これ以上の記録はない。イニシャルの背後にある名、国籍、生没年、修学歴、『ガゼット』以外の仕事はいずれも不明であり、この名の図案家は標準的な参考文献に見当たらない。The Record Institute はアムステルダム国立美術館の記述どおりに帰属を記録し、それを超える主張は行わない。
Nationality: Undocumented
Active period: 1914